名古屋家庭裁判所 昭和56年(少)669号 決定 1981年2月25日
少年 R・N(昭三七・一一・一二生)
主文
少年を中等少年院に送致する。
理由
(非行事実)
少年は
第一 昭和五五年七月一九日午後三時三〇分ころ、遊び仲間のA、Bの両名とともに、Bの運転する普通乗用自動車で岐阜県可児郡○○町内をドライブ排徊中、同町○○の名鉄広見線○○駅の広場に停車した際、Aのかねて顔見知りのC(中学三年生一四歳)外数名の者からCの遊び仲間のD及びE(いずれも高校一年生一五歳)の両名が登校時の電車内で高校二年生のKに「がん」をつけられた、としてみんなで同人に対して意趣返しをすることを聞かされ、少年も前に高校在学中(本件時は退学)、ある先輩に因縁をつけられて殴られたことを思い出し、上記AやBとともにこれに同調し、上記CやD及びF、G、H、I(以上四名いずれも高校一年生一五歳)らとともに前記K(当一六歳)に対し暴行を加えることを企て共謀のうえ、同日午後三時五〇分ころ、同駅構内の書店に居るのを見つけて呼び出し、すでに同所近くに連れてきていたKを同所から約三五〇メートル離れた同町〇〇一、五三四番地先付近の樹木におおわれた山道まで連行し、途中AにおいてKの頭髪をつかんで引きずる等の暴行を加え、同所において皆で同人を取り囲み、Aの指示でC、Dの両名がこもごもKの顔面、腹部等を手挙や膝等で数十回にわたり殴打して路上に転倒させ、更に顔面、腕部等を足蹴にする等の暴行を加え、よつて同人に対して約一か月間の加療を要する鼻骨々折、前額部、両前腕部の各擦過傷、左眼瞼部打撲の傷害を負わせ
第二 昭和五五年七月ころ、中学校時代の先輩や仲間と自動車の暴走グループ「○○連合」を結成して岐阜県下で週末の深夜暴走していたが、翌八月同グループの先輩らが交通違反で検挙され、同月初旬、地元○○警察署の補導で同グループの解散を余儀なくされ、加えて少年自身も速度違反等の累積点によつて同月二〇日自動二輪車の運転免許の行政処分(免許停止九〇日間)を受けたこともあつて単車の運転から遠ざかつていたが、同年一一月末ころ、職探しのため、実家の岐阜県○○町から名古屋市○区に住んでいる実兄R・Rと同居中、高校在学時の友人を介して名古屋市内の暴走族と知り合い交遊するうち名古屋の暴走グループは規模も大きく、白昼堂々と衆人環視の中で繁華街を暴走しているのを見聞して再び暴走に心を動かされ名古屋の暴走グループと暴走することを決意し、同市内の暴走グループ「○△」のメンバーL外数一〇名とともに同市○区○×丁目所在の○○パーク、テレビ塔周辺において集結し、車両で暴走せんと意を相通じて同年一二月七日午後一時ころから同日午後三時三〇分ころまでの間同○○道路約九○○メートルの間において、自己所有の自動二輪車(岐ま○○号)を運転し、上記Lの運転する自動二輪車をふくめて約二〇台の自動二輪車、普通乗用自動車約二〇台と共に車両を連ね、かつ並進して市道○○線約三八○メートルの区間を占拠し、さらに同テレビ塔外周道路の周回を重ね、集団で信号無視、逆行通行(通行区分違反)、蛇行運転、歩道通行等こもごも交通違反をくり返し、同区○×丁目×番×号先テレビ塔西信号交差点において、信号に従つて同交差点に進入せんとしたM(当四三歳)運転のタクシーを急停止させ進路を妨害したほか信号に従い横断歩道を横断中のN子(当三〇歳)外五名(内三名は幼児)に対し停止避譲することを余儀なくさせて同人らの正常な歩道を妨害し、もつて共同して道路における交通の危険を生じさせ、かつ他人に迷感を及ぼす行為をした。
第三 昭和五六年一月一七日午前八時一五分ころ、業務として自動二輪車を運転し、各古屋市○○区○○通×丁目××番地先道路を○△通り方面から○○交差点方面に向かつて時速四〇キロメートルの速度で進行中、同所先の信号機により交通整理の行われている交差点にさしかかりこれを直進しようとしたのであるが、このような場合自動車運転者としては信号の表示に従つて進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、同所交差点の信号が赤色を表示していたのに通行車両はないものと軽信し、上記速度のまま進行した過失により、折から左方道路を青信号に従つて上記交差点に進入してきたOの運転する普通貨物自動車の右前部に自車を衝突させ自車を転倒させ、自車後部に乗車させていたP子(当一八歳)に対し加療一〇日間を要する頭部外傷を、同じくQ(当一八歳)に対して加療五日間を要する右下腿挫傷の各傷害を負わせたものである。
(適条)
第一の事実につき 刑法二〇四条、六〇条
第二の事実につき 道路交通法六八条、一一八条一項三号の二
第三の事実につき 刑法二一一条前段
(処遇事由)
一 本件犯行中、傷害については自ら暴行等の直接行動には出なかつたものの、年少者の他の者に同調して共謀のうえ犯行に加担したもので軽率のそしりを免れないこと、共同危険行為については白昼、公衆の迷惑をかえりみずに暴走に加わり、往来の激しい市街地(現場は公園を中心に、バスターミナル、地下街があるほか、デパート、銀行、美術館、図書館、放送局といつた施設がひしめき合つている名古屋市有数の繁華街であり、年末のこともあつて往来はかなり混雑していた状況)の交通の安全を阻害したこと、業務上過失傷害事件についても、定員外乗車をしたうえ自動二輪車を運転(自車後部に二名乗車)し、信号無視をして交差点内に進入してその結果同乗者二名に傷害を負わせたもので、交通秩序や道路の安全確保という点から放置しえない悪質な行為である。
二 少年は昭和五三年四月私立の商業高校に進学し、同校のスケート部でクラブ活動中足を捻挫してクラブを休んだことで先輩や教師の風当りが強くなり、これに反発して翌五四年九月同校をやめ、名古屋市内の定時制高校二年次に編入学したが、アルバイトと勉学の両立ができず五五年五月同校を休学するに至り、これより先少年は、自動車学校に通つて自動二輪車を買い求めて運転に熱中し、そのあげく、乗用車との追突事故を起して入院をする怪我を負い(この事件で安全運転義務違反により岐阜家裁で不処分)、これまで勤めていた仕事を辞め、定時制高校も休学して遊び廻り、交友関係を拡げる過程で地元○○の暴走グループの結成に加わり、自ら同グループの特攻隊長と名のつて同グループ二〇数名とともに暴走に参加し、上記の経緯(第二の事実記載)で同年八月グループを解散した。
三 少年は五五年一一月末ころ、地元○○町の悪友ら(その多くは前記グループのメンバー)と手を切るため職探しに兄のいる名古屋市に出向いて兄のアパートに逗留中、旬余を経ずして同市内の暴走グループと知り合い、再度暴走に加わつて上記第二の犯行を犯し、更に第三の人身事故を惹起したものである。
四 少年の性格特性、行動傾向は鑑別結果通知書記載のとおりである。少年は高校在学中はスケートに打込んでいたため平穏に推移していたが、怪我や部活動の不満がきつかけに破綻し、定時制高校に通つたもののやがて学業や仕事(バッテリー電装関係の会社でのアルバイト)を放棄して単車に傾斜する生活を送り、通行区分などの交通反則や自損事故(安全運転義務違反)、速度違反(四八キロメートル超過)などの累積点で九〇日間の免許停止の行政処分を受けるところとなり、停止期間中は運転を控えていたものの、その後名古屋市内の暴走グループに触発されて安易に共同危険行為をなし、更に短期間内に信号無視をして人身事故を起したもので、交通非行、特に暴走行為の社会的な害悪や危険性についての内省が十分でなく現在の少年の保護環境(地元○○町の両親に指導監督能力がなく、名古屋市内で一時同居していた兄R・Rも五六年一月に東京転勤となり、少年は名古屋市内で一人アパート暮らし)から再非行が懸念される。
五 したがつてこの際少年院に送致して、暴走行為、信号無視といつた交通非行の社会的危険性を悟らせ、遵法精神を培う必要がある。なお本件第一の傷害については軽率さは否定しえないが、その場の雰囲気に同調したに過ぎないもので、少年の粗暴性は窺えないこと、交通非行についても、地元○○での暴走も約ひと月と短期間であり、名古屋市内における暴走グループとの接触、交遊も深いものではないのでその非行に対する偏りは強固ではなく、短期間集中的な指導で矯正が可能と考えるので、交通短期課程が相当と思料する。
よつて少年法二四条一項三号、少年審判規則三七条一項、少年院法二条三項を適用して、少年を中等少年院に送致することとし、主文のとおり決定する。
(裁判官 與那嶺為守)
処遇勧告書<省略>